刚刚找到的~很不错啊~可就我那点日文水平实在吃不消啊~希望有高手出马~
宮崎駿監督製作発表100分間全発言集
2001年3月26日小金井市江戸東京たてもの園にて
宮崎 徳間社長が生きていたときは、赤坂プリンスで何百人も人を招いて、パーとやって、「世界に冠たるアニメーション」とか、ほらも吹いて派手にやっていたんですが、社長が亡くなって、世紀も変わり、21世紀はこういう風にスタイルを変えていこうと言うことで、街の寄り合いみたいですが、よろしくお願いします。
映画の終わり頃になると、おみくじを引くことにしているんですが、この前引きましたら、「残花、旧枝に開く」と書いてありまして、ああ、そういうことか、と思ったんです。本当にリタイアしたいと思いながら、またやるハメになりまして、前とはやり方を変えているんですが、監督は監督ですから。パンフレットには難しいことが書いてありましたけれど、あれは僕の主旨ではありません。今度は難しいことをグズグズ言わずに作っています。 毎年夏に、ちょうど柊さんと同じ年齢ぐらいの娘さんたちと山小屋で二三日を過ごすんですが、この娘たちを見ているうちに、丁度この子たちのための映画を作っていないことに気がついたんです。小さな子供たちのために作ったものはありますが、それは幼児のためのものですし、思春期のお客さんを対象に「魔女の宅急便」や「風の谷のナウシカ」を、少年達のためには「ラピュタ」を作りました。自分たちの作ってきた作品の中に、思春期の前で、まだ、お父さんお母さんを大切に思っている、いろいろ複雑になってくる前、お父さんお母さんに対しても、大人の決めたルールに対してもそれなりに律儀で、というところで生きている女の子達に向けたアニメーションがない。自分の頭の中に全くなかったんです。 今はもう母親になっていますが、その姪ご達が持ってきて山小屋に置いていった少女マンガも一杯見たんですが、クラスの男の子の気を引くことに専念しているマンガばかりで、これも違うなと思いました。そういう部分もあるけれどもそれだけじゃないんじゃないかと思いまして。これは自分に課せられた課題だと勝手に考えていたんです。ずいぶんお金がかかって申し訳ないんですが、そういう自分の小さい、若い、うーん、ガールフレンド(笑)達に見てもらって喜んでもらえるかが勝負です。 この前ある人にその話をしたら「じゃあ主婦になってしまった人とか、大人になった私たちはどうするんですか」って言われましたが、それはその時代を過ごしてきたわけだから、ちゃんと記憶にあるはずだし、これからその時代にさしかかる人にも充分見てもらえると思っています。とにかく、自分達が作ってきたものの中に思春期前の女の子達のための作品は作られていないし、その子達に向けては、恋だの愛だのしかこの国は供給していないって感じがしました(笑)。それがこの映画を作ろうと考えた理由です。 現在、実はこんな場所で製作発表をしていいんだろうかっていうスケジュールの状況になっていまして、本当はおしゃべりをしていられないほどの未曾有の遅れなんです(笑)。原画は9割くらいまで行きましたが、そのチェックする課程が、まだ8割くらいしか進んでいなくて。作画監督がもう幽霊のようになってまして、最後まで持てば何でもいいやって、会社で毎週希望者向けに整体の人を呼んでいるんですが、その人に「とにかく持てばいいから、電撃でもなんでもやってください」ということまで頼んで(笑)、とにかく封切りに間に合わせたいと思って一所懸命やっております。
柊 千尋役をやることになりました柊瑠美です。今回声優のお仕事ははじめてなので、うまくできるかわからないんですけど、一生懸命頑張りますので、たくさんの人に見てもらいたいと思っています。よろしくお願いします。
宮崎 今日はじめてお会いしたんです。今週の後半からアフレコの第1回がはじまります。
Q 現代をテーマにした理由は?
宮崎 今途方に暮れている人たちが多いんですよ。途方に暮れすぎていてうんざりしているんですが、ちょっと前のことを忘れているんです。こんなにひ弱じゃなかったはずだと思ってまして、ですから初めて大事件にぶつかってというよりも、ちょっと慣れてないだけなんじゃないかと考えているんです。もう現代の問題がどうのこうのってあんまり言わずに、さんざん言ったし、もう皆がさんざん喋っているからもういい、とにかく元気になろうって(笑)。そういう思いで、しかも僕の友人達の女の子がそのまま主人公になるような映画を作ろうと。そうすると今までこうあってほしいというふうに映画を作ってきましたけど、そういう主人公ではなくて、そうなんだよなっていう女の子にしたんです。だからうまくいかないんだよなあって、驚いています(笑)。それだけじゃあ映画にならないんで、なんとかその子に頑張ってもらわなければならないんですけど、頑張るようになるまでにずいぶん時間がかかりまして、映画は予定よりしっかり長くなりました。 本当はこういうことはあんまり言わない方がいいのかもしれないですが、とにかく働かなきゃならないはめになった女の子が、ジブリに来て、「働かせて下さい」って言ってるようなものなんだと思っているんです。僕らにとっては見慣れた空間ですが、はじめて来た子にとっては迷宮のように見えるだろう思います。そこに不機嫌な人たちがいっぱい働いているわけです。だいたい働いている人はみんな不機嫌ですよね。一応顔を合わせると笑ったりする人もいますけど、時々用事があって電車に乗らなければならないときに、朝、駅に向かって歩いて行くと向こうからジブリの人間が出勤してきてすれ違うんですが、だいたいすれ違っても気がつかない人が過半数。皆自分の殻に閉じこもって、おっかない顔をして、なんでこんなに不機嫌なんだろうって思うくらい不機嫌です。で、そういう人間にですね、窓の外に花が咲いてるから、「咲いたね」って言うと、「あっ、今気がつきました」って言うんだよ。本当に閉じこもっているんですよ。そんな話をしてもしょうがないんですが(笑)。 そういうところに、一人の女の子がここで生きなければならないことになったらどういう目に会うだろうか。一応、プロデューサーもここではニコニコしていますが、会社ではしょっちゅうおっかないことを言ってわめいてますから、そういう子に、例えば柊さんみたいな子にむかってムキになって怒るわけです。それはほんとうにおっかないことだろうと思うんです。それでもとにかくここで生きていかなければならない。お父さんとお母さんをちゃんと連れ戻さなければならないと思った子は、どういうやっていくんだろうなって思いながら、少しずつ嘘はつきますが、そのリアリティを踏み外さないように、作ったつもりです。ですから悪役は、悪玉とか善玉っていうことよりも、世間なんだっていうふうに思って作っています。 お父さんが豚になるっていうのは、どういう皮肉が込められているんですか、とか、諷刺なんですかとか聞きたいかも知れませんが、そういう気はありません。女の子達に「あなたのお父さんはくだらないですよ」なんて言ったってしょうがないですよね。そんなことを言ってもなんの力にもならない。
Q 映画を作るために、子供たちにリサーチとかはされていないんですか?
いつもはリサーチとかそういうことはしません。その少女達と合うのも毎年2、3回、2、3日ですから。別のところでたまにお葬式で会ったりはしますけど(笑)。でもその子達がどうするんだろうなって思いながら、勿論映画で描いたとおりの行動が出来るか出来ないかはわからないにしても、たぶんそうするだろうな思って作ってはいます。そうすると随分健気になるんです諱Bやっぱり健気なんだと思います。そして結構図々しいところももっているんだ、とか、その子達に随分ヒントをもらいながらこの映画を作ってますね。
Q 映画を見せるまでは、その反応はわからないということですか?
宮崎 わからないです。これはもう本当にわからないです。 この映画では、いわゆる僕らが描いてきたかわいい子を描くと、それで見る方が安心しちゃうから、それは止めようと思ったんです。美人じゃない子にしようと作り始めて、柊さんはかわいいですけど、それは別にそのガールフレンドたちが美人じゃないっていうんじゃなくて、みんなかわいいです(笑)。で、ラッシュを見ながら最初のころは「かわいくねぇ」とか「もう少しなんとかならんのか」と思っていたんですが、終わりに近づいてきて、いろいろなカットを見るうちに「あっ、この子はちゃんと魅力的な女性になるな」と思えてきてホッとしています。
Q こういう建物などは普段から散策されたりしているんですか?
宮崎 ここがまだ出来たてで建物が少なかった時に、すごいものが出来たと鈴木プロデューサーとやたら喜んだんです。こういう店は、僕が子供のころ残っていた建物で、たぶんこういう街角を、空襲で東京が焼ける前、思い出せるもっと前に見ているんですね。だからやたらと懐かしいんですよ。どこと似ているから懐かしいというわけではなく、夕方の感じが良かったんです。閉園間近にちょっと夕日が指してきたところに一人で立ったりすると、ほとんど涙がチョチョギレ状態になっちゃうんですよ(笑)。 それ以来、この分園で、何かやる時、お手伝いできることはジブリが積極的にお手伝いしてきました。パンフレットを作るとか、本を出すという時にも出版部で作ったり、そういう関係を持ってきたんです。僕らはここはとても大事なところだと思っています。今、こういう財政状態ですから、経営的に攻められているようですが、是非これを残していきたい。残していけたらいいなと思っています。 ここにある建物は、これもそうですけど、主流じゃないんです。明治村に並ぶなんていう建物じゃない。というのも明治以降というか震災以降、モダンな時代が始まるわけですが、その時代というのは、基本的にはバラックなんです。それでいつの間にか世の中が変わる仮定でどんどん姿が変わってきたもので、実際に住んでみればわかると思いますけど、すごく寒いんです。冬は火鉢だけですから。そういう建物なんですが、自分たちにとってはとても大事なものです。 ディズニーで「トイ・ストーリー」を作ったジョン・ラセターが遊びに来たときに、ここに連れて来たら「お前のトトロはここかぁ」とか言ってものすごい喜んだんですよ。「いや、ここだけじゃないんだ」って返事をしたんですが(笑)。本当に喜ぶんです。本当に見たいものを見たっていう顔をするんです。もっとたくさんの人が来てくれるといいなと思っています。入場収入が増えれば、もっと分園を増やせるし。予算の都合がつかなくて先延ばしにしている計画があるらしいんです。この建物も、その最後の当主のおばあちゃんが、タンスの中から、押入れの中から、冷蔵庫の中までみんな持っていってくれって言ったらしい。それをそのまま持って来てあるんですが、全部は並べられないので、倉庫にそのまま眠っているらしいんです。本当はそれも全部、この家にあったものだから、ここに上弦月が張ってありますけど、そういうものも含めてここに復元できたら、それは非常に意味があるというか、面白いものになると思うんですけど。
Q 「もののけ姫」以来の作品になるわけですが、今回、新作ということでものすごい期待があると思う。作っていて気負いが全くなさそうなんですが、あえて自然体で作られているのですか?
宮崎 「もののけ姫」も含めて一緒に苦労した若い連中に、もう少し仕事のチャンスを作りたいという理由と、それからさっき言った具体的なこの子達のために作りたいという対象が目の前にあって、しかも一度はリタイアを覚悟した人間ですから、肩から力を抜こうと思ったんです。これが難しい映画でしてね。主人公の女の子がテキパキと動いてくれないんですよ(笑)。コンテをずいぶん捨てました。最初のころは100枚くらいのパッと捨てたり。絵コンテは「もののけ姫」と同じだけかかりました。気負わないのと、作る大変な努力をすることは、全然矛盾しないんですが、どっちにしてもしんどい思いをしていることには変わりはないですね。
Q 新しい作品を作ろうと思われたのはいつ? きっかけは?
宮崎 監督をやるかやらないかという事よりも、こんな傾向の作品を作ったら良いんじゃないかって思うものは何本かあったわけです。で、演出は、作画監督は、どういう編成でできるかって考えいるうちに、結局自分が監督をやるしかないという結論になったんです。 この作品の発端には「霧の向こうのふしぎな街」という日本の児童文学があります。70年代に書かれた作品なんですが、最初これを映画に出来ないか、という話を始めたんです。「もののけ姫」を作る前ですね。 スタッフの中に小学校5年くらいにこの本を大好きで何度も何度も読んだという人がいて、自分に面白さが理解できないのが悔しくて、なんとかしてその謎を解こうと思っていたんです。それで企画書も作ってみたんですよ。でもボツになりました。そこで、これはもう少し溌剌とした主人公にしなければいけないと考えて、「煙突描きのリン」という、主人公がもう少しお姉さんで、東京に地震が来た後の世界、なんだか大友克洋さんの映画みたいですが(笑)、そこでの話を考えたんです。結局これも何か理由がありまして、やっぱり風呂屋に行こうと。風呂屋の番台にすごいおばあちゃんが座っているっていうイメージが、出てきたんです。
はじめ考えたのは、山の中に昔の人は知っていた神様が使っている道があって、そこに家が建ってしまった。国道二十号の猿橋あたり、山の上を平らにして突然そこに家が建っている所があるんですが、ロケハンにも行きましたが、そういうところに引っ越すと、神様が通るところですから、新居の中をどんどん変な生き物が通る。で「ビクビクしながらローンを払うなんてまっぴらよ」ってお母さんが探検に行って変な世界に迷い込んでしまう。という話を考えていたんですが、その発端は全部無くなりました(笑)。そんなことをしていたら5時間の映画になってしまうことがわかったんです。 ロケハンをしたり、その新しい家を精密に作ってみたり、女の子の部屋はここだ、とか、窓から見える風景は、とかそれなりに気に入っていたんですが。それに女の子達のために作った映画が無いという、ためっていうのは、その子たちを正しく見きるとかなんとかっていうことではなくて、何かその子たちの中にあるもので、かき立てられるものはないかということです。僕らの商売とかってそういう商売ですから。そういうことがないなって、問題意識として感じていたものですから。それからその子たちが喜ぶものが、僕が読んでもわからないっていうのが悔しいじゃないですか。何か秘密があるはずだと思ったりして、その本を読み込んだり。いろいろ考えた挙げ句のことですけれども。肩の力を抜いていたつもりなんですけども、そこら辺はかなり力んでやってたんですどね(笑)。
Q 柊さんは、今の監督の千尋の話を聞いてどう思いますか?
柊 私も最初に絵を見た時に、アニメはだいたいすごいかわいい子が主人公なんですけど、宮崎さんの千尋は、なんか本当にそこら辺にいそうなわがままな子っていう感じがして、ちょっとわがままなところが自分に似ていると思ったんです。すごく親近感があって、逆に美人な子より、こういう子の方がやりやすいと思います。
宮崎 お父さんの方が引っ越しの車の中で、子供に向かって一生懸命気を使っているんですよね。「ほら、新しい学校だよ」とかって。そうするとなかなか起きないんですよ。そうしたらスタッフの女の子たちが「もう一回呼ばれないかぎり起きない」って言うんです。すごい娘たちですよね。それでお父さんは大変なんだなって。そういうリアリティみたいなものが、突然スタッフの中から出てきて、面白いですね。職場にいる時はちゃんとテキパキしている子たちが、小学生だった頃は、お父さんが何回も呼びかけてもすぐに反応しなかったというてことがよくわかりました。この映画に女の子を連れて見に来たお父さんとお母さんはどう思って帰るんだろうって、けっこうドキドキしているんですけど(笑)。でもあんな感じだよね?
柊 はい(笑)。
Q 柊さんはジブリの作品は見ていますか?
柊 「となりのトトロ」と「もののけ姫」を見ました。「トトロ」は幼稚園くらいの時に見たからあまり覚えてないんですけど、マックロクロスケが大好きで、今回もススワタリっていって出て来るんで、すごく嬉しかった。
Q 千尋の役の声をほやることが決まった時はどういう気持ちでしたか?
柊 最初にオーディションをやった時からすごく時間がたっていたんで、もう駄目だったんだって忘れかけていたんです。受かったって聞いて、すごい嬉しかったです。
Q 「もののけ姫」を見た感想は?
柊 「もののけ姫」は、すごく物語の内容がかわいそうっていうか、自然を大切にしてという感じがすごい伝わってきて、私の年代でもそういうことがすごくわかる、わかりやすい物語だったから、あんなにヒットしたのかなって思います。主人公のアシタカもすごくカッコよくて、お姉ちゃんたちと騒いでました。
宮崎 あっ、そうなんだ。面白いね。分かりにくい物語だと思っていたんだけど(笑)。
Q 柊さんは今回の映画に出てくるような古い日本家屋の世界についてはどう思いますか?
柊 そうですね、おばあちゃんの家もそんなに古くないんで、ああいうところに行ったこともないんですけど、なんか本当に見る限りでは、「あっ、日本ってこうだったんだ」って、今の自分が住んでいるところでは想像できないくらい古い感じで、でもなんか懐かしいっていうか、これが日本だったんだなあってすごい実感しました。
宮崎 一応、異世界なんですけどね。
柊 で、ここに入ってきた時に、あの千尋が入った異世界とここの感じがすごく似てたんで、びっくりしました。「あっ、ここを参考にしたのかな」って。
宮崎 (笑)もちろん参考にしています。
柊 はい。
Q 「もののけ」の時に、体力的なこともあって、引退というお話もありましたけど、それを乗り越えて、またこうして作品を作る決断をされてまた作った。今後については。
宮崎 僕は誰にやらせたらいいんだうろって、一生懸命探しているんですよ。で、今回もはじめて出会ったスタッフで「こいつはちょっといいかな」って思うような奴がいるとちょっと話をしに行ってね、「お前は何がやりたいんだ」とか。そういう挑発をかけたり、いろいろ意識的にやっています。で、それは、自分がやるかやらないかっていうことよりも、もう自分が60で、今も夜中の1時頃や2時頃まで仕事することもあるんですが、11時頃になると、思考力が無くなってくるんです。何もわからなくなってくるんですよ。ただイライラしてくるだけで(笑)。そう考えるともう限界かなって。日曜日は絶対休むことにしています。日曜日は1日歩いて頭を真っ白にしないと、月曜日にスタジオに出てきた途端に今日は土曜日かなって思っている自分を発見したものですから(笑)。 そういう状態ですから、このままだと本当に周りに迷惑をかけますね。とにかくどういう作品を誰にやってもらえば良いかということでは力になれると思いますが。もう一つ、井の頭に作っている美術館についてはまだ手をかさなければならないことがあるんですけど。煩悩に翻弄されるのは、なくなってほしいと思うんですけどね(笑)。映画監督ってね、煩悩の虎なんですよ。映画監督なんて何本やったって、立派な人間にはならないです。自分の煩悩がないと映画作れないんですね。煩悩は腐れてますから。黒澤明さんが「乱」でリア王を作られた気持ちがわかりますね。自分の権力を手放す気がないのに、老王になったリア王の愚かさが。もっと僕よりずっと高齢で映画を作られましたれけど、やる気があるなら譲っちゃいけないですよ。それで問題が起こるんですよね。悲劇や喜劇がね。だから黒澤さんもそうだったんじゃないかって僕は思っているんですけど(笑)。 これ以上は老害です。本当に老害になると思いますね。だからうんと短いもので、周りに迷惑をかけないで自分の負担とリスクでやるって思っていればいいんで、それを資金王で権力を利用してやるのも間違いだと思います。美術館用の作品も、1本は宙に浮いて中断したままなんですけど、それを入れて3本ほどあります。だからそれを作ることも、スタッフがそれによって何かを学んだり、元気になったりすればいいなって思ってやろうと思っています。
Q 扉がどんどん開いていくところはCGですか?
宮崎 いえ、あれは全部作画です。CG時代で、仕上げも全部デジタルになって、当然ながら、僕らは帆がなくなった船に乗っているような気になってね(笑)。よくわからないんだよね。わからないけれども、非常に便利な部分、つまり今まで諦めなければいけなかったり、はじめから念頭におかなかったことができるようになった。それから最終的な画面をこんな小さな(パソコンのモニター程度)モニターで見るわけですが、その段階で、ここを暗くしようとか、明るくしようとかっていうことを前よりもずいぶん::自::由::に出来るようになりました。 ただ::自::由::に出来るようになったけど、同時にこれは弊害がある墲ッで、最終段階でいじればいいやって思うと、途中段階がいい加減になってくる。それでいじくりはじめると、ほとんど差がないところでああでもないこうでもないって、いくらでも時間がかけられるんですよ。だからデジタル時代っていうのは、ひどく分業が進んで、同時に生産性がものすごく悪くなる危険性をいつもはらんでいるんです。これでいいっていうことを判断する人間が、コストパフォーマンスの問題もずうっと念頭におきながらやらないといけない。またコストパフォーマンスだけじゃなくて、スタッフの疲労度を見て、これ以上やるとこいつ死ぬなとか。もう使い物にならなくなるから止めようとか、そういうところも見ながら、きちんと決めないと駄目なんです。これはたぶんアメリカ向きのシステムですね。つまり人物の足元の影だけずうっと描いてろって言われても、日本のスタッフは嫌になっちゃうからすぐにやめちゃいますけど、アメリカのスタッフは平気で、そのフィルムを持ってきて「オレはこの影をやったんだ」って自慢するやつもいるんですよ。こういう人たちがいれば、このデジタル時代の分業も成立するかもしれない。むしろ日本人の方がずっと湿っぽいですよね。「私は影を描くためにアニメーターになったんじゃありません」って言われると。 それからCGっていうのは本当は3Dですから、「トイ・ストーリー」がやっている方向に、CGスタッフは行きたいんですよ。絵を描くのではなくて、自分で形をつくりたい。当然だと思うんですけど、それをやりはじめると、メチャメチャになっちゃうのと、もう一つは、そのメンバーにもコストパフォーマンスのことが全然わかっていない。彼らは、ああでもないこうでもないとワンショットに半年かけることにビクともしないんです。で、この映画に入る時に、3Dはやりませんって僕はスタッフに宣言したんです(笑)。といいながらちょっとは使ってますけどね。波なんかでどうしても処理しなければいけない時があって、それはCG部でやってくれって話をしましたけど。でも基本的には絵に描いたものを使う。そのかわり、アニメーターと美術の人間はコンピューターを使わない。その撮影とデジタルペイントとそれからCGを扱うスタッフは全部映像部っていう形にしたんです。そこに材料として紙に描いたものを渡すから、最終処理はそっちでやると。絵描きがコンピューターをいじくり回してああでもないこうでもないってやったら、もう生産性はメチャメチャになるでしょう。いつの間にか人の仕事を侵し合うんですよね。この映画の中にも台詞が出てきますが「手を出すなら最後までやれ」って。そういう事態が多発しそうになったんで、これは主人の出番だと思って、とにかく人の仕事にチョッカイを出すな、と大きな声を出したんです。やるなら最後までやりなさいって。そういうふうにして、従来僕らがやってきたセルアニメーションをデジタルによって転換してやる。それが一番おおきな目的であって、その次に、少し画面の処理について、いろんなCGといえなくても、デジタル合成という方法の中で、いろんな新しいことができますから、それを取り入れて、ちょっとリッチにして行こうと。でもそれ以上ははみ出さない。今後、どうやってはみ出していくかについては、その作品ごとに考えてやっていくしかないでしょうね。今回はそういう枠を自分たちで作ったんですね。ただ、まだ最後の追い込みにはなっていないですが、最終合成のセクションが、どれほど寝ずに、コンピューターを回しながら追い込んでいけるのか分かっていないので、戦々恐々として、材料が来るのを待っている状態です。 非常に面白くて、いろんなことができるという事と同時に、その限られた予算と時間の中でやっている大きな決断とネックがあって、リスクがあるんだということがよくわかりました。わかったけど、これを本当に使いこなすのは、もうセルを知らない世代の人たちがやらないと駄目ですね。
Q 柊さん、声だけで演じるための役作りみたいなことは?
柊 今までは声だけの仕事がなかったので、声だけだと、動かなきゃ出せない声とかも入ってくるので、すごい難しいです。表現も大げさにやらなくちゃいけなくってすごく難しいんですけど、今ちょっと家で台本を見て練習しています。
宮崎 (笑)。その大げさにやらなければならないっていうのはアニメーションの宿命なんですよ。どうしても。前、糸井重里さんが、「トトロ」の時に、「オレは普通のオヤジをやるんだ」ってやってきたら、当然パニックになって、半日間パニックになってましたけど(笑)。しょうがないからそのうち声を出すようになりましたけどね(笑)。そうなんです。どうしてもそういうふうになっちゃうんです。日常的な芝居といっても大げさ。だからあんまり声優はやらない方がいいんです(笑)。
[此贴子已经被作者于2005-10-23 15:13:18编辑过] |